ルナ憲一のひとりごと

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アントニオ古賀師匠の付き人をしていた当時、早朝から夜遅くまで師匠の身の廻りのお世話から掃除・片付け・子守りまでこまねずみのように働き、食事は一日に昼過ぎに食べる一回だけ、仕事の厳しさは頑張ればなんとかなりますが、腹ペコはどうしようもありません。地方での仕事におともすることは、私にとって「朝・昼・晩とご飯が食べられる」楽しみいっぱいの時でありました。青森へ、大阪、九州へと各地の演奏活動で、夜行列車に乗って移動した当時のことを、ほろ苦くまた懐かしく思い出します。
地方公演のために師匠から指示された楽器や楽譜、衣装などすべての荷物を、ひとりで目的地まで持っていくのが私の仕事でした。師匠の家から駅まではタクシーで行き、改札を通り、階段を昇り下りし、歩いて、歩いて、歩いて、乗降ホームまでがどんなに長かったことか。どれも大切な品物です。失くしたり盗まれでもしたら大変です。気を抜くことのできないひとり道中でした。
長距離の列車に乗るときなどはほとんどが自由席で、まず座席と荷物を置く網棚を確保するためには素早さが必要でした。乗客で混んでいて座席が確保できないこともあり、そんな時には通路やデッキで何時間も過ごさなければなりません。あまりの混みように、床に座ることもできず立ったまま眠ったこともありました。時には寝台車に乗れることもあり上段・中段・下段の寝台に隣あわせになった見ず知らずの方たちとも会話が進み、下車するときは「お世話になりました。気をつけて。」と声を掛け合ってお別れしたりしてほのぼのとした思い出です。もちろん、師匠は飛行機で現地へ一直線です。

いやー、大変でしたけれど、どんな時も『いまの自分にこの試練は必要なことなのだ。』と考えました。確かにその通りで、厳しさやつらさよりもその何倍も得るものがあって、今の自分があるのはあの頃の頑張りがあったからこそと、当時の体験に感謝しています。

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