古賀メロディーを歌い継ぐ
出会い
ENCOUNTER
昭和期の大作曲家 師匠 古賀政男先生と会ったのは、勝ち抜きチャンピオンになった時でした。
審査委員長であった古賀政男先生から声をかけられ、家に来るようにといわれるとは思ってもみないことでした。
レッスン
LESSON
古賀政男先生のお宅は、現在の代々木上原 日本著作権協会のあるところです。その広い敷地にあるお宅で、古賀政男先生は、時にはギター時にはピアノで曲をつくり、美空ひばりさんを始め、大歌手のレッスンをしていました。
古賀政男先生のすすめで、アントニオ古賀氏の内弟子になった中、厳しい修行時代の唯一の楽しみは、古賀政男先生につけていただくレッスンとアントニオ古賀氏からのお使いで古賀政男先生のご自宅に行くときでした。 古賀政男先生のレッスンは、まずは、歌をじっと聞いてくれて、後から指導をしてくれましたが、「こうするともっとよくなるよ。」と、静かに諭すようにおっしゃってくださいました。
歌い継ぐ
SINGING
古賀政男先生が亡くなられた後もご家族と親しくさせていただき、今、古賀メロディーを弾き語れることができるのは、最後の弟子として使命を感じるとともに、心から感謝しています。
古賀政男先生がつけてくれたルナ「月の如く人の心をやさしく照らすように」の名に恥じないように古賀メロディーを歌い継いでいきたいと思います。
もうひとりの師匠 アントニオ古賀
Antonio Koga
アントニオ古賀氏のところには、若いころに4年間。
当時の修行は、現代では考えられないほど厳しいものでした。
靴磨きから掃除は当たり前でわずかな時間を見つけてはギターを触り、寝る間を惜しんでは練習をしました。
なぜ、耐えられたかと考えると持前の負けず嫌いと何よりギターを上手くなりたいという一心でした。
師匠 アントニオ古賀氏の教えは、「芸は盗め!」のただ一言で、
師匠の演奏を食い入るように見つめ、聴き、自分のものにするのに必死の毎日でした。
最近では、一緒にステージで演奏することもあり、お客様に喜んでいただいています。
ルナ君が私の元を訪ねて来たのは、今から50年余り前になると本人から聞いた時、あっ、そうか、と私も今年でデビュー60年になることを思い出し、時の流れの早さを痛感せずにはいられなかった。55 年前は毎週コンサートをやり、月に10日以上のクラブ・キャバレーまわりと大変忙しい時期だった。
そんな時、彼が訪ねて来て、「弟子にして下さい。」と私に言ったが、超多忙の時期でギターを教える時間は無く「悪いけど無理だ。」とお断りした。それでも彼は力強く真っ直ぐな眼差しで私を見つめ、「断られても諦めません」という彼の意志の強さを感じたことは今も忘れられない。ちょうど付き人が欲しいと思っていたので、付き人なら、という条件から始まり、そこから自然と師弟関係が生まれた。地方での現場は列車が多く、移動時はギターの他に楽譜やら衣装があり、結構な荷物の量と重さがあったが、ルナ君はあらゆることに耐え一生懸命働くその姿は美しかった。彼は暇さえあればギターを弾き練習に励んでいた。ショーの合間は舞台袖で、私の演奏する姿をジッと見て聴き、技を磨いていった。
恩師、古賀政男先生の言葉で、学ぶより真似べという言葉の通りである。私の奏法を見事に取り込んで、見事に“ルナ憲一”の今の形を作り上げた。ルナ君の音を聞いていて、たまに私かな、と思うことが多々あり、私の良い所も悪い所も含め、私の個性をよく捉えて自分の音に昇華させている。2代目アントニオ古賀が誕生したようで何とも嬉しい限りだ。
これからもルナ君は自分の個性を大切にし、新しいスタイルを生み出してくれるよう希望する。そして、私とルナ君の共通の師である古賀政男先生の座右の銘「音楽和也」を胸に、日本の曲がもっと世界に羽ばたいていくよう尽力していきたいものだ。
ルナ憲一君の新たな門出をお祝いし大いなる期待を抱きつつ。
歌手・ギタリスト アントニオ古賀